インドと一部のOECD加盟国間の租税条約には最恵国待遇条項(Most Favored Nations Clause)が規定されています。インドとA国間の租税条約に最恵国待遇条項がある場合、A国との租税条約の署名・発効後、インドがOECD加盟国である第三国と租税条約を締結し、配当、利子、ロイヤリティ等に対してより低い優遇税率やより広い課税範囲の制限を定めた場合、A国にも同様の優遇措置を与えられることになります。インドがオランダ、フランス、スイス、スウェーデン、スペイン、ハンガリーと結んでいる租税条約には最恵国待遇条項が規定されている一方で、日印租税条約には最恵国待遇条項は規定されていません。
2023年10月19日にインド最高裁裁判所はこの最恵国待遇条項に関してネスレ(NESTLE SA)と直接税当局(ニューデリー)との訴訟に判決を下しましたので紹介します。
直接税当局と納税者の争点
争点①:最恵国待遇条項は自動的に発動されるのか?又はインド政府からの最恵国待遇条項が発動される旨の通知(notification)後に発動するのか?
争点②:第三国がOECD加盟前にインドが当第三国と締結した租税条約の条項に関して、最恵国待遇条項を適用できるか?
具体例
ここではより簡便的に説明する事に重きを置き、実際のネスレ(NESTLE SA)と直接税当局(ニューデリー)が争った事例とは異なりますが、インドのオランダの租税条約(以下、蘭印租税条約)を例に、上記の争点①及び②を具体的に見ていきます。
まず、大前提として、インド所得税法第90条1項では、「一定の目的のためにインド政府はインド国外の国またはインド国外の特定地域の政府と協定を締結することができ、また官報告示の通知により協定の実施に必要な規定を設けることができる。」と規定しています。
この第90条に基づいて、インド政府はオランダ政府と1980年に蘭印租税条約を締結しました。蘭印租税条約第10条では、配当に関する源泉地での源泉徴収税の上限税率を10%と規定しています。そして蘭印租税条約の議定書(Protocol)では下記(原文)の最恵国待遇条項が規定されています。
If after the signature of this convention under any Convention or Agreement between India and a third State which is a member of the OECD India should limit its taxation at source on dividends, interests, royalties, fees for technical services or payments for the use of equipment to a rate lower or a scope more restricted than the rate or scope provided for in this Convention on the said items of income, then as from the date on which the relevant Indian Convention or Agreement enters into force the same rate or scope as provided for in that Convention or Agreement on the said items of income shall also apply under this Convention.
その後、インドがスロヴェニアと2005年2月に租税条約を締結しますが、その租税条約では配当に関する源泉地での源泉徴収税の上限税率を5%と規定されました。ただ、スロヴェニアはインドとの租税条約締結時点ではOECDの加盟国ではなく、OECDに加盟したのは2010年7月でした。
それでは、この蘭印租税条約を例に争点①及び争点②を順に見ていきます。
まず、争点①は、上述のインド所得税法第90条1項が規定する「また官報告示の通知により協定の実施に必要な規定を設けることができる。」という文言を考慮した場合には、最恵国待遇条項を発動させるためにインド政府の通知(notification)の発行を待つ必要があるか否かです。つまり、「スロヴェニアの租税条約に基づいて蘭印租税条約でも配当の源泉徴収税率を5%となる旨の通知(notification)がインド政府から発行されることを待たず、蘭印租税条約を適用できる納税者は5%を主張できるか?」となります。
次に、争点②についてです。論点②は上記の蘭印租税条約の議定書(Protocol)の原文の「is」の解釈が分かれていたことに起因していました。蘭印租税条約の議定書(Protocol)は「配当所得が発生する時点でスロヴェニアがOECDの加入国である」と規定しているのか、「スロヴェニアとインドが租税条約を締結した時点でスロヴェニアがOECDの加入国である」と規定しているのかと解釈が分かれました。
最高裁の判決
まず争点①については、インド政府の通知(notification)の発行後でないと最恵国待遇条項は発動されないと最高裁判所は結論付けられました。インドが締結した条約を立法化する独占的な権限は議会にあるため、条約に署名または批准しただけではインドで強制力を持つことにはならず、条約が国民の権利に影響を与える場合や、インド国内法を修正するものである場合には、条約を有効にするための立法が必要としています。
次に争点②については、第三国とインド間の租税条約に規定された優遇措置に関して、当第三国がインドと租税条約を締結した時点でOECDの加盟国であった場合に最恵国待遇条項が適用できると結論付けました。「is」の解釈は文脈から意味が導け、「is」は租税条約締結時点での「現在的な」意味をもつと整理しました。
争点①②ともに最高裁判所の判決は納税者不利となる判決であったと言えます。
日系企業への影響
最恵国待遇条項の規定は日印租税条約にはないため、日本法人インド子会社等と取引を行う際には、この判決の影響はありません。ただインド子会社が、オランダ、フランス、スイス、スウェーデン、スペイン、ハンガリー等(インドとの間の租税条約で最恵国待遇条項を持つ国)の居住法人と取引を行う際には、この判決を考慮した上で租税条約を適用することが求められます。
執筆・監修
鈴木 慎太郎 | Shintaro Suzuki |
新井 辰和 | Tatsuo Arai |